小学校に上がりたてくらいの子供達を観察していると
時にドキッとさせられることがあります。
なぜなら彼等は色々な事を明確にしたがるからです。
白黒つけたがりますからね。笑
もちろん 悪い意味ではありません。
だって、大人になって「いない」のだから。
でも、
ある程度の年齢を超えてくると話は違ってきます。
そして、
僕はここに争いが起きる要因がある気がしてなりません。
ところで大人になるとはどういう事なのでしょうか。
皆さんは考えた事はありますか?
それは例えば
自分で稼いでいく事
自分でなんでもできるようになる事
20歳以上
一人で暮らす事。。。等
直ぐに考え付くのもありますよね。
ただ、もっと哲学的に考えていった結果、
僕はいまこのような結論で
自分の中の「大人像」を仮決めしています。
そしてその「仮決め」をこの二日間で一層強く感じているのです。
物事になるべく白黒つけすぎない事、
起こる出来事をそのままの状態で捉える力をつけていく事
僕達の周りには色んな人がいます。
色んな考えや宗教があり、
色んなスタンスの倫理観・正義感を持った人達が沢山います。
また、
それら各々のひとつだけをとってみても温度感によって様々です。
そして、
そうしたものを全て含んだ自分だけの「価値基準」を以てして、
僕達は日々色んなことに時間を忙殺されながらも自分だけの理想を追い求めて、
自分とその「価値基準」が合う人達と共に生活しています。
時にそんな人達が集まり、
何らかの拍子にふと足並みが揃い
時にそれが大きなムーブメントとなって、
社会に色々な「うねり」を与えるのかもしれません。
そうやって社会は「うまく」回っているのかなとも時に考えたりもします。
これはあくまで個人的な考えではありますが、
例えばテロはあまりにも視点が絞られすぎた考えの人達が
ある時にコントロール不能な集団へと変化して引き起こしてしまう事がある気もします。
政治的、宗教的な原因だけではない事もある気がするのです。
そこには、
なんにでも白黒つけたがる考えによって引き起こされた
より偏狭な視野によって行われているものも中にはある気がします。
そしてここで重要なのは、
それは全く以て他人事ではないという事です。
僕達(もちろん僕自身も)だって、
もしかしたら今の日本人の方が視野で言えば狭い事もあるかもしれません。
ただたまたままだ結びついていないだけで。。。
今回のパリでのテロは正にそれを僕に深く考えさせてくれました。
亡くなられた方や被害に遭われた方々、
またその親族の方々には強い哀悼の意を表します。
且つ、テロ行為は断じて許されざる行為だという立場を取る一方で
ひとつだけはっきりさせておくと、
フランスに対してこれまで特に強い思いを抱いてこなかった一般人としての僕は
どうしてもこのひとつの出来事だけを切り抜いて、
安易に何かしらの行動を取る事が出来ない、という事です。
それは、
「なぜ中東やアフリカの国境線があんなにも真っ直ぐにひかれているのか?」
という1つの歴史的な事実背景だけをみても明らかです。
そこには色んな問題が複雑に絡み合っていて、
また今尚も政治的に色々な思惑が絡み合い
一個人が感情だけであるスタンスを取る事に
いささか難しさを感じているからです。
そんな状況を踏まえ、
では一体僕達に何が出来るのでしょうか。
僕が提案する事はひとつです。
それは、
悲しみに寄り添う事と同時に、
これを機に僕達はもっと学んだほうがよいのではないか?
ということです。
世界情勢や世界史を学ぶ、
言語や宗教を学ぶ
経済を学ぶ、
音楽を学ぶ、芸術を学ぶ、
コミュニケーションを学ぶ 、、、
そして、
そうした教養をもとに、
自分と異なる「価値基準」を持つ方々とより良い将来を描けるように
自分なりに思索していくことなのではないでしょうか。
そもそも学ぶというのは、
他人の視点で物事を考えるという作業でもあります。
ある分野の本を100冊読めば、
100人の視点から物事を捉えることができるのです。
もちろん、
なかには気に入らない視点や到底理解しがたい視点もあることでしょう。
それはそれでその瞬間は「排除」していいと思います。
少なくともその視点があったということは経験として逆に記憶に残るでしょう。
そうしたことの積み重ねが視点を増やし、
ひいては物事に白黒つけずにありのままの「色」で捉えることが出来る気がするのです。
そして、
その先により良い社会があるのではないでしょうか。
現実的に考えて、
テロは恐らくこれからも起こり続けるでしょう。
日本でも例外ではないはず。
それはどうしても避けられない事かもしれません。
でも、僕達は学ぶ事が出来ます。
複雑に絡みあった世界を少しでも理解し、
視点を拡げるきっかけを作り続ける事は出来ると思うのです。
僕はこれからも死ぬまで学び続けると思います。
そして、
自分の生徒達にはその背中をしっかり見せていきたいし、
彼ら彼女らも同じように自主的に学び続けるられるようになる事を
僕は教育者として心から約束します。
そして、
もっともっと彼ら彼女らが学べる良い環境を整えていきたいと思っています。
きっとその先にこそ
今よりも世界がほんの少しだけ良くなる「きっかけ」がある気がしてならないからです。
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