小学生への躾と整列、秩序について思う3つのこと

小学生の集団指導が多くなってきて、僕自身がまず つまづきを感じたもの。

 

それは、

 

言うことをなかなか聞いてくれないこと。
友達たちと頻繁にふざけあうこと。

 

なんだそんな事小学生なんだから当然じゃないか、というものだとは思いますが、これは 正直なところ予想していたよりも遥かに厄介なものでした。

 

時間が限られているレッスン。

 

そうした状態でのこれらの出来事は、レッスン自体に締まりがなくなるだけでなく僕自身もそれに翻弄されてしまい、次第に感情がかき乱されてしまいます。

そうなると、冷静に子供達に教育を提供することが難しくなる。

 

ただ、最近はそうも勝手が違う事に気づきました。
もちろん前述した通り小学生だからそうなってしまうのは至極当然のことであるわけですが、それをこちらが上から教え込んだりせずにやれる方法を

色々と試してみたり

アドバイスをもらったり、

はたまた、

違う角度からその事を見てみると、以下3つ浮かび上がってきました。

 

今日はそれを共有してみたいと思います。

 

ルールを事前に伝える

 

これは僕自身も思わぬ見過ごしだったわけですが、一番取り掛かりやすいものだと思います。

僕自身、

「勝手に言わなくても並ぶでしょ。」

「言わなくてもラインを揃えて整列するでしょ。」

と思い込んでいました。
でも、それは僕たち大人からしたら当たり前でも、子供たちからしたらわからないもの。

それで、急に不機嫌になられたり、感情的になられても困る。

だから、ルールというか《提案》を都度してみると良いのかもしれません。

「こうしてほしい。」
「こうしてもらえると、どういう理由で助かるからこんな行動を取ってほしい。」

など…

 

そうすると、実は大人よりも素直に子供達は守ってくれたりします。

 

 

リーダーを決めてみる

 

今、僕が行っている心技体連動教育では、下は小学一年生から上は中学一年生までいます。

▶︎心技体連動教育とは?
https://ms-labo.com/syousai/

彼ら彼女らを観察していると自ずとリーダー的な人が出てきます。

その人に思いきって託してみるとうまく回り始める事も多い気もするのです。

 

「お前がリーダーだから、レッスンがうまくいくようにしっかり《一緒になって》回していこう。」

 

この《一緒になって》というのがポイントで、こうするとだんだんと彼にも自覚みたいなものでてきて、リーダーシップを発揮するようになっていく気もします。

 

 

秩序がなくてもピースは成り立つ

 

日本の著名な実業家の一人でもある猪子寿之さん率いるteamlaboの作品に

『秩序はなくともピースは成り立つ』

というものがあります。
▶︎参考記事  チームラボ、「秩序がなくともピースは成り立つ」が『アルス・エレクトロニカ』にて、 Interactive Art部門のHonorary Mention(入選)を受賞

 

 

その作品を紹介・解説した中に、こんな一節がありました。

日本には「阿波踊り」という、いつからあるか定かではないくらい昔からある、非常にプリミティブな踊り祭りがある。その祭りでは、各自がおのおの踊る集団を作り、集団で楽器を奏でて街中で勝手に踊り歩く。各集団は好きなように奏でながら、好きなように踊り歩くのだが、なぜか、街全体で音楽に調和が生まれている。それは、踊り歩く中で、たまたま出会った集団の音楽のテンポに、互いの集団が無自覚にだんだん合わせていくということで成り立っている。そこには、ルールがあるわけではなく、ただ体が気持いいからという理由で無自覚に行われているのだ。そして、人々は、解放されそこに一切の秩序がないように感じるにも関わらず、非常にピースな体験をする。そんな体験から、昔の人々は、もしかしたら、今とは違った方法で、ピースを成り立たせていたのではないかと思うのだ。

 

この一節を読んだ時、目からウロコ。
なるほど、、、
と、思ず膝を叩く思いがしたものです。

 

確かに こうしたジャンルの踊りでは、音楽に合わせてリズムをとり、思い思いに身体を動かすようにも見えます。

そこには決して秩序はないけれど、そこに向ける心地よさ(ピース)によって、その踊り全体に目を向けてみると一つの安定のようなものやまとまりをなしているようにも感じます。

 

 

子供達への教育も、もしかしたらきっとこれに似たことが起きているのかもしれません。

 

 

時として僕たちは自分達の管理のしやすさのために子供達を「綺麗」に躾けたりするけれど、
でも実はもう少し忍耐強く観察、見守ってみると、その「秩序はなくともピースは成り立つ」はどこか出てきているのかもしれない。

もちろん、並んでもらうことに越したとはないし、そこにはきっと阿波踊りのように強い目的が必要になるのだと思うけれど。

 

でも、そこには管理する事の新たな可能性がある気がしてなりません。

 

今後はそれを探す事もしてみたい。

 

 

僕が今のところ小学生への整列、躾、秩序について考えている事はこれらのことです。

 

きっとこれからもこの子供たちへの《秩序》というテーマに関しては、様々な学びが積み重なっていくわけだけれど、こうした3つの取り決めを自分の中で見直していくと随分と楽になった気がします。

 

なぜなら、他者や外部に しかもコントロールできない事に意識を向けずにすむから。

自分自身の行動に改善を要求できるからです。

変えられないものではなく、変えられるものが見つかると、だいぶ楽になるもんだ、と。

 

 

同じような出来事に頭を抱えている方へ何か参考になれば幸いです。

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