今朝
こんな記事を見つけました。
【仲良くしようと思わない事です】
http://www.ikedahayato.com/20150717/26272496.html
ここ最近
「いじめ」のニュースが再度持ち上がって
きています。
これについて、
僕はこれまで幾つか考えを
持っていたわけですが、
どれもタブーかなとも思い、
避けてきました。
ただ、
今日はその内の一つについて共有して
みたいと思います。
良い機会だったので。
僕は思うんです。
「いじめ」についても
似たような事が言えるの
ではないか、と。
つまり、
無理矢理
第三者が距離を縮めようとするから
「抵抗」が起こってしまうのではないか、
という事。
そして、
それはつまり
『みんな分け隔てなく仲良くしましょう』
という一見美しく見える
言葉から生まれているのではないか、
と。。。
僕達には皆、
適度な距離間というのがあって
夫婦や恋人、友人、家族においても、
それをうまく測りながら
お互いのペースで生きていますよね。
むしろ、
僕はそうするべきだと考えています。
皆が皆
同じ距離感では生きていない。
それは、
合わない時期は合わないし、
お互いに目指すものや温度感は
皆それぞれ違うわけだから。
だから、
それを無理矢理合わせようとしなくて
いいのではないか、
って僕は考えてしまうんです。
事実、
僕も心から気を許している友人達とは
ワンシーズンに1回しか会わない。
でもそれは、
お互いにその頻度が一番最高に楽しめるし、
常に馬鹿できる最高な心の状態だって
知ってるからなんです。
話を戻すと、
僕は合わない人とは、
無理に共に時間を過ごすのではなく、
代わりに
相手の価値観や生い立ち
目指しているものを互いに
『理解し合う事』
『尊重し合う事』
を学ぶ時間にする事の方が大切だと
考えています。
その結果、
仲良くしようが距離を置いて接しようが
それはお互いが決めればいい。
もちろん、
それは嫌いになる事じゃない。
陰口だってもちろん言わない。
会った時はしっかり目を見てあいさつする。
ただ
それ以上は介入しない。
それが「共存する」という事であり、
「大人になる」って
僕はそういう事なんじゃないかな、
とも思っています。
確かに、
自分が好きな人同士が仲良くなるのは
最高に嬉しいし、
素敵な事だと思います。
そして、
食わず嫌いのように
無理矢理近づく事で
得る事もあるかもしれない。
それでも、
それ以前に相性ってあるから。
そして、
時間は有限だから。
お互いが自分に余裕を持て
接する事ができるよう
各々でその距離間を測ったら、
それ以上は互いに『別世界』で生きればいい
と、僕は思うんです。
もちろん、
歳を重ねる毎に昔剃りが合わなくても
今になって合うことも出てくるわけです。
疎遠になった友人から急に連絡が来る
事だってある。
そして、
残念ながら逆だって当然ある。
あんなに仲良かったのに
どっちが悪いとか偉いとか
そんなんじゃなくて
ただただ合わなくなって来る事。
とても悲しいけれど。。。
でも
それはそれで新たな出会いの始まりでも
あると思います、ありきたりだけれど。
そして、
僕はそんな時
こう伝えればいいと思うんです。
笑顔で、
そして
相手の目を真っ直ぐ見て。
次にいつの日かまた
前と同じように
いつかまた
馬鹿できるのを楽しみにしながら。
【一期一会を輝かせてくれる言葉】
僕はそんな人生の偶然性をこれからも
楽しみたい。
そして、
そんな生き方を多感な時期の子達にも
これから背中でみせていけたらって
今は切に思っています。
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