先日部屋の掃除をしていたら一個の御香が転がり出てきた。
お〜懐かし〜
と思いながら、その匂いを嗅いで火を点けてみる。
。。。。。。
と、
その瞬間から僕の思考は遠い過去へグングン遡っていく。
そして
僕はその後暫く考え込んでしまった。
ふかーく
ふかーく。
それは遠く9年前に聞いたとある講義をもとにして…
その不思議な先生はいつもルイヴィトンで全身を着飾っていた。
ヴィトンのスーツにヴィトンの財布、
そして
その先生の一番のトレードマークのヴィトンのサングラス。
そこはK塾の浪人生のクラスで、
一浪した僕はその先生の現代文の授業を受けていた。
当然の事ながら
その異様な雰囲気を醸し出す先生は皆からよく思われているはずもなく、
それを察してかいつも遠くを見て喋っていた。
ちなみに僕はと言うと、
その先生が授業中に話してくれる雑学が大好きだったのと
ある時その先生がお香の話をしてくれた時、
僕がたまたま使っていたお香と同じものだったということで
その不思議な先生に妙な親近感を抱いていた。
そんなある日の事
先生は珍しく僕達に視線を合わせながらこんな問いかけをしてきた。
『ところで皆はこの世の中で一番大切なものって
なんだかわかる?』
それまで全く聞く耳を持っていなかったクラスのみんなはパタリと内職を止め
ゆっくりと視線を上げていき自分の頭で答えを考えながらも、
次に先生が話してくれるであろう言葉を心待ちにしているようにも見えた。
そして
ゆっくりと先生は口を開いて こう言った。
『それはね、信頼 なんだよ。
これがあれば食べ物にも困らないし、変な話 お金だって借りられる。
この信頼こそが人が生きていく中で最も大切なんだよな』
正直 …よくわからなかった。
僕達は日常でよく、
「信頼」「信用」という言葉を多用する。
そして、
この言葉の効果は絶大でなによりコスパがいい。
なぜならそのたった二文字を発するだけで
時に生きていく事をも可能にさせてくれるから。
『信頼しています』
『信用してます』
と言えば誰だって嬉しいし、気を許してしまいがちだ。
困っていたらちょっと犠牲を払ってでもその人を助けたくなる。
そんな便利すぎる言葉なのだ。
そして
意識するしないに関わらず、今日もまた
「信頼してください」
と皆が口々に言う。
たやすく。
本当に、たやすく。。
世の中はトレードオフで成り立っている、
というのは大体一致している事実かもしれない。
僕はまだ27年しか生きていないけれど なんとなく今はそう感じている。
それはつまり
何かを得るには何かを失わないといけない。
何かを追求すれば何かを見失う恐れがあるという事。
でも、今ここで考えてみたい。
「信頼」
と口にした時に果たしてどれくらいの人が
それに見合う犠牲や覚悟を持っているだろうか、
と。
今では僕もあの先生と同じように社会に出て働き始め、
先生が言っていたことがほんの少しだけどわかる気がする。
それは、
もちろんだけれど信頼する側される側として
時にその言葉を使い 、
そして何度も使われ続けているから。
でも
果たして自分は『信頼』に値する事を出来ているのだろうか?
果たして自分は『信頼』に値する覚悟を持っているのだろうか?
そんな事をふと考え始めた僕は掃除を中断し、
ふと 考え込んでしまった。
そして その答に至るモヤモヤは僕の頭をかけめぐり…
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
その内にお香は消え
結局
僕の『信頼とは何か?』を巡る思考の旅は
気付いた時にはいつの間にか少しずつ薄れていっていた。
その残り香と共に…
信頼とは一体なんなのでしょう。
僕はその明確な答をあれから9年経った今でも
全く知らない。
もちろん、
答はもしかしたら
『アンパンマンがなぜ予備のアンパンを
持ち歩かないのか?』
で、片付けていいことなのかもしれない。
そしてここまで深く考える事はもしかしたら馬鹿げているのかもしれない。
それでも
そのうちに僕は目の前の仕事に没頭する中で
ふとその答えを見つける時がくるだろう。
その時はまたあのお香を焚いて
もう一度あの不思議な先生を思い返してみたい。
だってきっとそこには
高校生を前にうわべだけで「信頼」について語る僕はきっといなく、
あの時に信頼について語ってくれた先生の本当の意図がもしかしたらわかる気がするから。
晴天続きの月曜の真っ昼間に「信頼」について考える。
はてさて、ところであのお香はどこに売ってんだろうか?
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