大学受験で毎年見てきた悲しい現実

この時期になると少し悲しい気持ちになることがあります。

天気によるものもあるかもしれないけれど、やはり大学受験で毎年目にしてしまう光景。

 

 

それは、

 

何かと言い訳をつけて、受験を諦めていく受験生が多いことです。

中には すごいセンスを持ちながら諦めていく高校達も沢山います。

 

 

そういう子達を見る度に

もったいないなあと感じるのと同時に、ほんの少し苛立ちを覚えてしまいます。

特に、私自身は勉強のセンスというか理解力があまり良い方ではなく、腹落ちするのに時間がかかるタイプだったので、

そういうセンスのある子たちが簡単に諦めていく姿にどうもモヤモヤしてしまう。

その子自身に対しても、

そしてその子の周りを取り巻く環境に対しても。

 

「失敗したってまた挑戦すればいいじゃない」

 

という環境を創れていないことに。。。

 

 

 

 

私自身はたまたま運よく進学校で高校生活を過ごさせてもらったから、どんなに成績が悪くても諦めるという選択肢はありませんでした。

又、ありがたいことに私の周りの人も

「頑張ってダメなら仕方ない」

という態度で接してくれて応援してくれていた。だから確かに諦める環境になかったのは事実かもしれません。

 

 

経済的な問題は確かにあると思います。

大学に魅力を感じないのもたぶんあるでしょう。

それは私も感じています。

それでも挑戦できる環境に身を置いていながら簡単に自分を磨ける環境から降りてしまうことに、私はどうにも歯がゆさを感じてしまうのです。

 

 

 

 

 

私自身、文科省のカリキュラムに乗っ取った学校の指導に対しては、幾分か懐疑的な意見を持っています。

学校教育や日本の受験制度の変えたい部分だって沢山持っています。

ただ、

決められたフレームの中で1年も戦えないで、これからどうやって社会で生きていくんだろう?と感じてしまいます。

どんなに好きなことをやっていくといっても、その中に嫌な事やめんどくさいことも出てくるわけで、その度に自分の弱さに向き合わず、何かと理由をつけて正当化していてもなんにも得られないと思うのです。

きっとその度に周りを羨み、

時に愚痴り、

社会や環境のせいにして生きていくことになってしまうでしょう。

 

それってなんだか悲しくないですか?

 

 

 

 

 

経済的な問題、そして他の専門的に学びたいという子達を除き 、

途中で受験を諦めるというのは大抵 不安や自分の甘さから逃れる為だと思います。

それは、

自分のアイデンティティが壊れるのが怖い、

落ちたらどうしよう、

落ちたら恥ずかしいという恐れです。

 

 

 

確かに受験はほとんどの人がうまくいかない(第一志望にはいけない)戦いだと思います。

それでも、最後までやりきったという自負こそがその後の人生で最も大切なんだと思うのです。

それは私自身が、中学受験から毎回受験を経験してきて一回しか第一志望に受かったことがないからこそそう言える部分もあると思います。

失敗してもたかが知れているし、凹むのはせいぜい一週間。

合格すればもちろん素晴らしい事だし、不合格ならまたそこからもかけがえのないことに気付くことができる。

唯一の失敗は、あまりにありふれている言葉だけれど、

途中であきらめることと、適当にやること。

義務教育で一番大切な事は、何かをやり抜く事なんだと思います。

強いて言えば 嫌な事でもやり切れる力を養う事でもある気がします。

別に何年もやるわけではないし、それこそ一年…長くても二年。

しかもたった一回。

社会に出たら自分が好きな分野で挑戦すればいいわけで、たった一回です。

 

 

 

 

どうか諦めないで最後までやりきってほしいと思います。

そしてどうかこのブログを見た高校生は受験を諦めたり、

そしてどうかこのブログを見た親御様は子供たちがあきらめるような環境を創らないであげて欲しいです。

 

そして、いつでも困ったらこちらから連絡してきてほしいなって。。切に願っていますし、僕にできることはやらせてほしいなって思っています。

 

一人で抱え込まず是非頼ってきてほしいなって思っています。

 

////////////////////////////////////////////////////

 

▼オーダーメイド個別指導塾 M’s LABO

 

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

PAGE TOP