僕たちはいつどんな時に支えになる言葉に出会うかわからなくて、
そしてそれはある瞬間においては世界で最も尊敬される人達の言葉よりも支えになったりするかもしれないのだけれど、
僕にもある時そんな言葉がひょっこり訪れ、今でも愚直に数をこなさないといけない時などに僕の支えになってくれたりする。
8年前。
パイロットを目指していた当時の僕は、その登竜門と呼ばれる大学校へ行く為に航空専門の予備校に通っていたのだけれど、そこである教科に苦戦していました。
“トウソクチョクセンウンドウ”
のあれです。
『物理』と言えば、高校の時に0点を取る程(あの時はテスト後に引退試合が予定されていてそれどころじゃなかった、という事に親にはしている。)
大の苦手教科だったのですが、
目標がはっきりしていても全くやる気も起きず、ただわからなかった当時の僕は、それでも航空大学校に行きたい気持ちを前面に出し、とにかく問題を解き続けていました。
そんなある日のこと。
今では名前すらも覚えていないアルバイトの大学院生みたいな物理の先生の言葉が妙に響いたのを今でもはっきり覚えているのです。
“物理ねぇ…まぁなんでもそうだけど、例えばね今 目の前に固そうなコンクリートがあるとするじゃん。
そのコンクリートを目の前にあるこのボールを使って地道に壊していくようなもんなんだよ。
もちろんコンクリートは文字通り固くて全くびくとしないかもしれないけど、もしかしたら柔らかくてすぐ崩れるかもしれない。
もしかしたらこのボールがめちゃめちゃ硬くてすぐに粉々になるかもしれない。
大切なのはいつか壊れると信じて地道に投げ続けることに没頭する事なんだよ。”
僕達は言葉が生み出す “イメージ” の世界にも生きていて、その言葉が創り出す空間の中で人を感動させたり楽しませたり喜ばせたりもできる一方で、
人を悲しませたり妬ませたり死へと追い込む事だってできたりするのかもしれません。
当時、僕の中でその言葉は凄く腹落ちするもので、
その言葉が創り出してくれたイメージがその時は臨場感を以って一気に頭の中を駆け巡ったものでした。
それは僕がこれまでに培ってきた体験とものの見事にマッチしながら僕を包み込み、僕に愚直に問題を解き続けさせる忍耐力とその“コンクリート”を破壊してみたいという競争心みたいなものをしっかりと与えてくれた。
2次の身体検査でそのパイロットの試験には落ちてしまったけれど、学力試験を最上位グループでパス出来たのは、その“言葉”が創り出してくれたイメージの世界を充分に味わったからであったのは、結構 本当の事だったりする。
社会が暗くなると自己啓発が一層ブームになり、いつまでも『不完全な』僕達は死ぬまで自己成長を求められるのかもしれません。
そして、
そうした所でもてはやされる成功者や偉人達の言葉はいつだって輝いているし、自己啓発セミナーの“まず行動!ポジティブ•笑顔”は 時に真理だったりするかもしれない。
でも、僕達一般人からしてみれば、それらはバイクで横から走っている自分の背中を無理矢理 押され続けられる感覚とどこか似ていて、どこか“地に足がついて”いない。
そんな時、そうした身近な人の言葉は案外自分の体験からくる理解や共感と共にピタリとハマりやすかったりする。
手っ取り早く変わった気になれる名言も確かに便利で素敵なのかもしれません。
それでもたまには読みすぎてためすぎた本をそっと置いて、
身近な人の言葉にちょっとだけ耳を傾けて自分の体験と照らし合わせるのもいいかもしれません。
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