《わかりません》を止めてみる

例えば

わからない事をわからない、と素直に言える力は時に武器だと言われることもあると思います。

 

確かに わからない事をあたかも知っているかのようなふりをするよりは成長する可能性があっていいと思います。

 

でも、一見わからない事でも

一度自分の頭で考えて間違いでも良いから自分なりの考えを出せる能力・仮決め出来る能力を持つ子に

僕は常々ものすごい可能性を抱いてしまいます。

 

そこに正解・不正解は全くなくて 、単純に自分なりの答をだせるか出せないか。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

僕はこれまで受験というフレームの中で色々な生徒さんを見させてもらってきたけれど、

 

「あ、この子は大学できっと伸びていくだろうな」

 

と思う生徒はその時の学力に関係なく思った通り伸びていっていて、

 

そうした子達はほぼ例外なくそうした力を持っていた気もします。

 

それはきっと一度仮決めで出した自分の答をその後も常に問い直したり確認し続ける事で、

日々の生活に新たな行動が生み出され

ひいてはそれが挑戦へと繋がっていくからなのかもしれません。

 

 

 

 

わからない事を認めて聞く事は確かに尊いけれど、

一方でなんでも詰まったら聞けばいいという意識に陥る危険性を孕んでいて

それは時にその人を思考停止状態にさせてしまうことにもなりかねない気もします。

 

 

 

だからこそ…

 

・分かりません、を一度止めてみる。
・自力で答えを出してみる。

 

一度意識してみるだけでもよいかもしれません☆

 

 

 

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