【備忘録~なんのための義務教育なのか?~】

以前

同業の方と話をしていて

こんな質問をされた事がありました。

     *

Aさん
『小田原さん、

ところで義務教育って

なんのためにあると思います?』

僕『どうなんでしょう。

全ての学問に通じる知識の基礎になるから

それを型として身につけておくためなん

じゃないですかね。』

Aさん
『なるほど。確かにそれもそうですよね。

でも、数列や化学式などなど…

日常生活で使ってます?』

僕 『ええ、たまーに 考え方の基礎としては。』

Aさん
『たまにですよね。

しかも今はもう忘れてますよね?

あれって、なんでわざわざ大切な時期でも

ある義務教育でやるんですかね?』


『。。。』

Aさん
『私ね、こう思うんですよ。。。。

     *

さて、皆さんはどう思いますか?

続きはこうでした。

    *

Aさん『私はね、こう思うんですよ。

つまり

義務教育における科目って

色んな学問の基礎と同時に

“問題を解く過程での

わからないからわかるようになる

過程での感情の揺れ動きや忍耐”

を学んでると思うんです。

オセロで黒から白に変わる感じですかね。

分からない事を

なぜなんだろう?

と考え抜く中で

答えに至るプロセスで試行錯誤する中で

生まれてくる感情に慣れるとでもいいましょうか。

例えば、算数で

なかなか答はもちろん考え方がわからないとする。

腑に落ちないわけです。

その時間って物凄い歯がゆいし、

落ち着かないしイライラしますよね。

それで、

沢山悩んで考えてようやく

そこからなんとか出来るようになる。

その時の気持ちは何にも変え難いくらいに

清々しいし、何より自信になる。

社会に出ると、

小さな問題に出くわしてそれを解決する、

の繰り返しじゃないですか。

それは仕事だけでなく、

プライベートでも。

そして、

そこには日常に転がる簡単に

解決できるものから、

カップルや夫婦間での答のでない

問いや

社会問題など、

明確な答などなく

ただただ状況を最適化し

続けるものまで。

そういうのを考える過程って凄く忍耐がいる。

でも生きていく中で

その解決と創造のサイクルって

必須なんですよね。

そんな中で

答を常に出していかないといけない。

そんな問いを毎日毎日考えていたら

感情の起伏についていけないし、

辛いですよね。

でも、

早い段階からそれに慣れて

自分の今の現状と答えに至るプロセスが

完全に繋がっていく形、

つまり

腑に落ちて始めて解消されていく快感

を味わっておくと耐えることができる。

逆にそこがわかってるから

問い続けられる。

規模はもちろん違うけれど、

その基礎を

計算や読解などで考える過程で

学ぶんだと思います。』

     *

もちろんこれは一つの見方であり、

正解なんてありません。

ただ

僕はこの考え方に触れてから

自分の中で幾つかのモヤモヤが

消えていくのを感じました。

正に何かが腑に落ちた感じでした。

もし、

子供達が問題にぶつかっていたら、

こう考えると微笑ましく

待てるかもしれませんね。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

PAGE TOP