コーチ(型教師)としての前提と軸になるもの

コーチング(ティーチング)が機能しない時

はたまた

コミュニケーションが思うように取れない時、

 

 

それは得てしてコーチ(教師)側がなめられている事が多いのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

どんなに相手が不貞腐れていても

どんなに相手が心を開こうとしていなくても

 

 

何かを人とコミュニケートする側の人は

なめられるような事があってはならないのかなと思います。

 

生徒側になめさせる機会を与えてはいけないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

ただ、これが非常に難しいというか

かなりのバランス感覚が求められるもので、

 

『じゃあなめられないように厳しい態度で接し始めよう』

 

としたとしても、

それはそれでそれ以前に関係性が出来ていないものだから、

そもそもコミュニケーションを取る「土俵」に相手に 上がってきてもらえない。

 

それはそれである種 『なめられた事』になるんだと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

コーチングの難しく

又 一方で見方を変えれば面白くチャレンジングな所は、

巷に溢れかえった表面だけの知識だけでコーチしようとすると、単なる甘やかしになる事なのかもしれません。

 

 

『甘やかシング』

 

 

 

そうなると、

 

目標達成どころか

はたまた

成長どころか

 

相手を衰退させてしまう。

 

そんな危険性をはらんでいる気もします。

 

 

 

 

 

 

 

 

《コーチ型教師は 、教えたりコーチングしたりする前に まず生徒 ひとりひとりとの信頼関係を築く》

 

これはもちろん大切なのだけれど、

それと並行して

 

なめられない事。

 

 

 

 

相手が心を開いてくれるような『働きかけ』をあらゆるコミュニケーションを取る中で意識して行う一方で、

 

ちょっとやそっと弱さが見つかったくらいでなめられないような人間力を磨き続ける事。

信頼を築きながら 緊張感を出すべきとこはそこをあえて強める事。

この人は 自分が目標を達成していく中で 必要なんだ という意識を 無意識のうちに感じてもらう事。

 

その暁に もしかしたらより良いコーチング(もしくはティーチング)があるのかもしれません。

 

 

 

 

これらは人に教育を提供させて頂く上でもちろん当たり前の事なのかもしれないけれど、

そこは改めて意識しておきたいな、と

そう思っている事。

 

 

 

備忘録。

 

そして、自戒も込めて。

 

 

 

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