未来の先生は何をしていけばいいのでしょうか?

たまにふと考える事があります。

子供達を前にして  僕達 教育に携わる人達は 今後 何をしていく事が一番良いのだろうか と…

 

 

先生という仕事は 以前は 主に「知識を伝える事」でした。

先生が知っている知識を伝え、

教科書に載ってある事を補足し 伝え、

一般常識・一般道徳を伝えていました。

 

 

でも、今やインターネットが普及し  そうしたものは興味があれば子供達は無料で 且つ 自力で知れるようになりました。それは 世界中の名講義から 予備校の受験用講義まで。また 日本の教育が遅れつつある元凶ともなっている「飛び級がない事」にも 、こうしたインターネットの普及によって 対応する事が出来るようにもなりました。

これは 、教える側にも教わる側にも大きなパラダイムシフトが起こったと言っても過言ではないかもしれません。

 

 

以前 読んだ記事で 、僕達が小学生の頃に頑張って覚えた「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」の年号が 、実は誤りだった という事実を知りました。これまで 「先生(教科書)が伝える事は絶対に正しい」という前提で 少なからず勉強してきた僕には  、改めて それは驚くべき事の1つでした。

そして、こうした事は 恐らく これからもどんどん覆され  崩れさっていくのかもしれません。

学校や常識として「学んで」きた事が 次々に覆されていくところを年を追うごとに数多く目の当たりにすることになるのかもしれないのです。

 

 

 

時に 暗記は大切だといいます。

もちろんそれは僕も理解しています。また、その価値も十分に理解しているつもりです。

ただ、 そんな暗記でほとんど決まってしまう大学受験 の為に 、感性豊かな青年時代の貴重な時間 ・柔らかな思考力…ひいては、グーグル先生に聞けば数秒でわかってしまうこの便利な時代に 、今尚も 続くこの画一的なカリキュラムにのっとっただけの学習だけを提供するのに  いささか歯がゆさを感じてしまうのもまた事実です。

 

 

今後数年以内にきっと  【パソコン・スマホ持ち込みOK】の入試スタイルを取る大学が出てくるでしょう。そんな試験を前に、暗記に費やしたこれまでの勉強時間はほとんど役に立たないのかもしれません。いや、全く役に立たないわけではないかもしれませんが、その時間を他の「何か」に費やす事の方がより建設的なのは 言うまでもありません。

そして 、そんな試験で以ってして鍵を握るのはきっと  【想像力】と【創造力】。更に、より良い解を導く為に必要な【質問(自問)作成能力】なのかもしれません。

 

 

今、僕は小学生〜高校生と幅広い世代の子達の教育に携わらせて頂いていますが 、どちらかと言うと 学校の勉強が「苦手」だった子達が多いです。でも そんな彼ら全員に共通しているのは  僕ら大人が考えてもいなかった「想像力」で問題を解こうとする事です。特に 数学の解き方にはそれが顕著に出てきます。そして 時に それがすっごく面白かったりする。

もちろん その場では「正しい」解き方や考え方をお伝えし、そして 彼らも苦笑いを浮かべて 「正しい」答え導いていくのだけれど、時にそんな彼らが愛おしく 、そして こう思ってもしまいます。

 

『もしも こんなアイデアを自由に伸ばせる教育環境があったら 、彼らはどんな大人になっていくのだろうか?』

 

 

そして 僕はここで冒頭の質問にこう答えてしまいます。

 

未来の「先生」の仕事とは?

〜〜子供達の想像力を喚起させ続けられる「空間」や「環境」を整備し続けていく事〜〜

 

そうする事で もっともっと社会や世の中に価値を提供できる「優秀」な子達が育っていくのではないでしょうか。

そして、そんな環境ではきっと 可能性の芽を潰したり、足を引っ張ったりすり事はないと信じたい。

その過程で 今の義務教育で必要な「知識」や「道徳」「常識」なんかを自然に学んでいくのかな と。

 

もちろん これはあくまで今の僕の単なる未来予想図に過ぎないのだけれど、

でも …

そんな教育環境が1つくらいあっても良いですよね。

 

そんな 教育環境を僕はこれからも創り続けて 提供していきたい。

そう今は思っています。

 

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