電車の中吊り広告というのは、時に僕たちの願いを如実に表してくれているかもしれません。
よく 本屋さんのベストセラーコーナーに行けば 時代の流れがわかる、と言われる事もありますが、電車の広告を見ても僕達が何を欲しているのかがほんのちょっとわかる気がします。
それは、
美容系の広告から花粉症、大学受験、娯楽まで。
今日も沢山の広告達が 僕達の視界にこれ見よがしに入り込んできます。
さてそんな中 そこにいつも「代表選手」として名を連ねている広告。
「英会話教室」
「英語教材」
電車の広告。それは 例えば首都圏では数日間だけの掲載でも高いもので1,000万円近くもする(車両広告一覧表-オリコム 中吊りポスター料金表より)ものもあるようです。それだけみても いかにこの業界の市場が大きなものであり、僕たちが潜在的に求めているものであるのかがわかる気がしてしまいます。
ただ、ここで考えてみたい事があります。
果たしてそれでどのくらいの人達が自分の英語力に自信を持つことができたのでしょうか。
今日は、これからのシーズンでもある花粉症とともに僕達を悩ませ続けているモノ 「英語学習」についてのお話です。
場所は 横浜中華街から少し歩いた 元町 にあるスターバックスコーヒー。
そこで僕が目にしたのは ここは外国なのか ?と勘違いしてしまいそうになるくらいにいた 大勢の外国人のお客さんでした。店内は英語や他の言語が飛び交い 、 店員さん達も それに慣れてるのか 笑顔で接客していました。そして、そんな環境にいると必ずといっていいほどいるのが、英語に堪能な日本人の方々。彼らと流暢(?)に英語を話して楽しんでいます。
そんな様子を見ると、「私も、俺も」と感じる方々は多いもの。もちろん、9年前の大学に入りたての僕もそんなシーンに出くわすと憧れと嫉妬で見届けるしかない 英語が大の苦手な一人でした。
さて、そんな想いを抱え、ひいてはそうした思いに突き動かされて 英会話教室の門をたたいたり、TOEICの教材を買って勉強しようとしたりする方も多い事でしょう。もしくは、会社や学校で強制されている方もいると思います。ただ たいていの方は挫折したり、今ではそんな教材には埃が被ったまま、という形になってしまっているのではないでしょうか。
それくらい、日本人にとっての「英語」に対するハードルや拒絶感、そしてコンプレックスは大きいものになっている気がします。
もちろん、そのおかげで日本の英語関連ビジネスは大いに潤っているわけですが…
正直なところ 英語に抵抗感を持つ多くの方の
「街中で英語を話せるようになりたい」
「街中で困っている外国人の方に話しかけたい」
「英語で接客してみたい」
という願望くらいなら、ちょっとした意識や見方・視点を変えること(だけ)で ほとんどの方が早ければ半年で、長くても1年程度で自信を持って出来るようになると思います。
又、英語の勉強の継続性に関しても半年~10ヶ月もあれば それに向けて日々の行動をよりよく習慣化できるようになり、気付けばさほどストレスを感じる事なく英語を話す事ができるのではないでしょうか。英語は言語なので、日本語と同じように時間をかければ誰でも出来るようになります。ただ、そのアプローチの仕方・考え方・勉強法に大いに問題があるだけです。
なぜそんなことが言い切れるかというと、何を隠そう僕自身が中高生の頃に英語が嫌で苦手で仕方がなかったからです。何度かビリを取った事がありますし、あまりに分からなすぎて 小テストでカンニングしましたが失敗し、先生からボコボコにされたりもしました。
カンニングすらも出来ない どうしようもない英語力でした。
ただ、そんな「英語コンプレックス」のおかげで僕の大学生活は 英語学習の仕組み化に明け暮れる日々になったのは 良い事だったのかもしれません。
そして僕は今 、これらの悩みに対して少なく見積もっても20個以上の効果的なアプローチ(解決策)を知っています。
英語は、きっと「量」だと思います。
体育や音楽には才能やセンスも必要ですし、数学もきっと数学的センスは必要なのかなと思います。でも、英語はやったらやっただけ身につけられます。その量をいかに意識的な部分以外のところ、つまり無意識の部分で学習できるかどうか、それが鍵だと思います。
もちろん、発音や使うフレーズ、間合い等 突き詰めればセンスや才能が試される部分も多いでしょうが、大抵の日本人の英語の願望は間違いなく「量」で決まると思っています。
そして、そんな「量」が試される学習の中で必死に我慢を重ねるようなやり方だったら どんどんハードルは高くなってしまいます。結果的に、多くの方のように挫折してしまいます。
いかに楽しく、もしくは「勉強している」という意識する事なしに「量」を積み重ねられるかが大切なのです。
英語が出来るとやっぱり得です。
邦訳されていない気になる文献や小説を英語で読めるし、映画も日本語字幕では伝えきれていない細かい意味のニュアンスを楽しむことが出来ます。旅行先でも仲良くなれるし、知らない情報にそのままダイレクトでアクセスする楽しみがます。外人さんとHUBやクラブでウェイウェイ出来るのもメリットでしょう。
そして、こんなのは別にTOEICで600点くらいしか取っていなくても、英検で準2級をようやく取ったくらいの方でも問題なく出来るということです。大切なのは、考え方の問題。
ただ、です。
ここまで来て 僕は最終的に思います。
英語って本当に必要ですか?
と。
英語に不自由ない生活は確かに魅力的ですが、それ以前に「英語を勉強しなきゃ」という重りは 僕達を時に苦しめます。もしかしたら その呪縛を自ら解放し、本当に必要なのかを考えてみるのもまた大切かもしれません。
尚、英語学習についてや 学習を無理する事なく継続できる簡単なカウンセリング等はこちらからも行っておりますので、その際にはお尋ね頂けたら、と思います。
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