例えば世間では、
「もっと子供を褒めましょう」
とありますよね。
それを聞いて
「あ〜確かに最近褒めてないな〜」
とか
「あ〜最近、厳しく叱りすぎたな〜」
と感じて
それをぬりくり補完するかのように適当に褒めてみた結果…
無視→もう嫌だ→褒めない
となる保護者の方は案外多いのではないでしょうか?
僕も以前はそうやって「埋め合わせ」のような褒め方をして、信頼をうまく築けず、去っていってしまった生徒もいました。
それでも今でも僕は基本は褒めるスタンスでいくわけなのですが、
ただ、
これはある然るべき『前提』がわかったからなんです。
そして今では、
その前提を根っこに置いておかないと、褒めても子供達は褒められる事を目的にしてしまい、
いつまでたっても思いは伝わらないのかな、と感じるようになっています。
では、
その前提というものは一体なんなのでしょうか。
それは、
『認めてあげる』
という事です。
【褒める】という行為は
いわばカレーライスようなもので、
基本的に万人が好きなものであるし、
子供達もほとんどが好きなんですよね。
だからとりあえず「カレー」をあげておけば万事オーケーではある事は確かかもししれないんです。
とりあえず文句は言われないだろう、と。
でも、
たまにカレーが嫌いな子もいれば、
カレーが食べたくない時もある。
カレー以外のものが色々食べたい時だってあるんですよね。
つまり、
シンプルに整理すると
【認める事】→子供の好きな食べ物
【褒める事】→カレーライス
となるわけです。
認める事の中の一手段として褒める事があると思うんですね。
褒めてうまくいかない場合は、
えてしてタイミングや
そもそも欲しがっていない可能性が高いです。
いくらカレーが好きでも四六時中カレーが好きな人ってなかなかいないですよね。
時には、
『いやいや今食べたいのは、一緒に作って食べるお好み焼きだからね!わかってる?母さん父さん⁉︎』
かもしれないんです。
子供達が「好きなもの」を探すのは難しい事ではない気がします。
それはこれまでの反応を遡ったり、
これから意識して反応をみてみればいいと思います。
例えば、
一緒にキャッチボールする事かもしれないし、
一緒に勉強する事かもしれない。
話を折らずにただただ最後まで話を聞いて欲しいと思ってるかもしれないし、
美味しい御飯を作ってくれる事かもしれない。
サインは常に
『言葉』よりも彼らの『行動』にある気がします。
それらを記録に残しておくといいかもしれません。
そして、
タイミングや時期や反応をみながら
時に意図的に
時にランダムに
『使って』みるといいかもしれません。
常に前提にあるのは、
《それが子供達を認めてあげている行動なのかどうか?》
です。
認めるという行為は、『覚悟』が伴うと思います。
でもそこがあると、いざ厳しくフィードバッグをする時も臆せずきちんと伝えられるのかな、と思うのです。
だって仮にそれで離れていったとしても
こっちはずっと味方でいるし、
いつでも戻っておいで、という悟りの境地にまでいった気持ちになれるからです。
機会があれば、是非試してみて下さいね★
この記事へのコメントはありません。