それは中学の時でした。
野球部に所属していた僕は先輩のふとした一言で捉え方が変わったことがあったのです。
僕「(バント練習で)全員が決めたら終わりって…ちょっと皆 決まらなさすぎじゃないですか?笑 いつまでも経っても練習が終わらないし、ちょっとイラついてきたりしません?」
それを聞いて先輩はこう返してくれました。
先輩「まぁな〜でも仕方ねーしな〜
でもそれって、あれだよな。おまえがバントが得意って事なんだよな。」
その時、僕はポカンとしてしまいました。
『あなたの得意な事ってなんですか?』
と、僕達は事あるごとにそう言われてはその為に自己分析しましょうと 言われてきたのかもしれません。
自分を振り返って、
自分を掘り下げて、と…
僕も就活時期にやってました。自己分析。
ただ、自分一人でグルグル考えても自分の得意な事なんて思い浮かばなかったんです。
今もひとりで考えても全くわからない。
なんでかな〜って思ったのですが、たぶん意識的に自分自身で得意な事を考えている以上必ずどっかで『着色』が入るからなんだと思います。
どこかで承認欲求や見栄が邪魔して『着色』されるから。
「これを得意にしよう。」
というより、これが得意や強みである自分でありたい。
ただ、それらが仮にその人の「強み」だったとしてもそうするときっと必ずどこかで化けの皮が剥がれてしまう気がします。
その内 違和感が出てくる…
だからこそ こう考えてみると良いのかもしれません。
こういうのは意識的に探すのではなく、無意識に働きかけようと。
それはつまり
『感情に聴く』
です。
なぜなら感情は とっても自分に正直だから。
ところで僕はこれに対する質問ってこうすり替えていいのかなって思っています。
それはつまり、
『あなたが他人に対してついイライラしてしまう事ってなんですか?』
僕の中の得意な事の定義とは、
「人が苦労してやってしまう事を自分はいとも簡単にできてしまうこと」
つまり、
知らず知らずのうちにできてしまう事です。
『人に対してイライラしてしまう事』
というのは、
「なんでこんな事ができないの?」
という気持ちがきっと背景にあるのかもしれません。
それは裏を返せば 知らず知らずのうちに簡単にできてしまうから。
だから 相手ができない事が理解できない。
例えば
料理が出来る人が料理が出来ない人とBBQをする事になり相手の手際の悪さについイライラしてしまう、としましょう。
でもそれは、その人と比較した時にきっと自分がその人よりも料理が得意だからなんだと思うのです。
『あなたの得意な事ってなんですか?』
は、その比べる人数が単に増えただけ。
就活本や自己啓発書がいう
「得意な事を見つけるために自分探しましょう」
は、やっぱり僕には難しかった。
いつまでもグルグルと自分の中を彷徨い続けてしまう。
だから手っ取り早く知るには、自分の「感情」か 他人から自分の得意な事や強みを聞くのがよいのかなと思うのです。
そういう意味では、いろんな文化や人種と関わる事ができる「旅に出て自分探し」をするというのは確かに理にかなってるかもしれません。
もしも ある時に他人に対してイライラしてしまったら、それはもしかしたら自分の得意なことなのかも、
と思うと今後少しは楽になるかもしれませんし、それこそがもしかしたら自分が他人に貢献できる ひとつの武器になるのかもしれませんね。
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