なぜ僕が木登りで上を目指せたのか?

小学生の頃、

僕は一時期無性に木登りにはまっていた事がありました。

家に帰ると庭にある大きな木に登り、

お気に入りの枝の分かれ目のところで

のんびりするのをいささか好んでいた気がします。

何も考えずに高い所からボーと。。。

もちろん、

初めの頃は怖くて全く木登りをしようなんて思いません。

むしろ最初は単なる憧れで、

活発な友達が学校で木登りしてるのを見ては、

羨ましく思っているだけの普通の内気な男の子でした。

「上にいったらどんな景色が見えんのかな~?」

とか

「なんか気持ちよさそうだな~」

って、指をくわえて。。

 

 

ある日、そんな僕をみかねてか父親が

「下で支えてあげるから、登ってごらん」

と言ってきてくれました。

「え。」と思いました。

「僕がやるんか…?」

と。

でもいざやってみると

不思議と一歩一歩足が進んでいったんです。

不安だけれど、

何かに惹きつけられるように上へ上へ。。。

怖いけれど、

下から突き動かされるように上へ上へ。。。

 

そして、

今ではその正体が何かわかります。

人を動かすとっておきのものが。

 

 

 

僕達はよく 何かを前におびえを感じてしまいます。

もしくは、

もう全て必要なものが揃っているにもかかわらず

最初の一歩が踏み出せない事もあります。

でも、実は大抵はたった2つのものの欠如によって

動きが制限されてしまっているだけの事が多い気がします。

 

それはつまり

 

【好奇心】と【安心感】

 

 

 

これらがあれば、僕達は大抵動く事ができます。

もちろん、

【好奇心】、【安心感】と一口に言っても

大抵ピンポイントではわからないものです。

なぜなら

それらが指し示すイメージは人それぞれ違っていて、

人によって必ず変わってくるものだからです。

でも、

過去を振り返ってみると

大抵それらの正体はわかったりします。

ただ考えていないだけだったりするんですね。

過去からパターンを見つめ直せば大抵見えてくる。

 

 

 

皆さんが悩まれるお子さんの勉強も同じ事だと思います。

わくわくしてくる目標や単純な『好奇心』、

又は

親や先生からの絶対的な『安心感』を感じた時、

子供達はストレスなく勉強するようになる気がするんです。

逆に言えば、

子供達が勉強しないのは、

どちらかに微調整や改善が必要だったりするからだと思います。

でも。。。

そんなに難しい事ではないんですよ、実際は。

 

 

さて、

今自分も含めて身の周りの動けていない人に

足りないものはなんなのでしょう?

『安心感』でしょうか?

それとも

『好奇心』でしょうか?

誰かにそっと手を差し伸べるために

休みの日にゆっくり考えてみると楽しいかもしれませんね。

 

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