不合格から学んだ「捉え方」の効用について

パイロットに憧れて

その夢に向かってなりふり構わずいろんものを我慢して突っ走っていた学生時代。

その登竜門とも言える航空大学校の入試で

一発勝負の二次身体検査にて僕は勘違いから有りえないミスをして不合格になったことがありました。

 

 

当時通っていた予備校の先生にも、あの項目で落ちた例を見たことがないとも言われ、

必ずしもそれが落ちた全ての原因ではなかったにしろ、

それでキャリアが変わっていたのかとも思うと悔しくて、、

しばらく立ち直れなかったのを今でもはっきり覚えています。

 

 

当時は

 

「あの試験官の伝え方が悪いんだ」
「あの書き方が誤解を生む表現だったんだ」
「なんで自分はこんな過ちを犯してしまったのか」
「なんて読解力がない人間なんだ」

 


僕は人を責め、自分を責め
あらゆる物事に懐疑的になり自暴自棄になっていた気がします。

 

 

 

ただ、
時が経ちだんだんと感情が落ち着いてくると次第にそんな自分が嫌になってきました。

 

「そんな生き方をしてかっこ悪くないか?」
「そんな風になよなよしている人と誰が一緒に時間を過ごしたいんだ?」

 

次第にそんなことを思うようにもなりました。

 

そして ある時

僕はふとこうした捉える事をするようになったのです。

 

〖ここから何か唯一学べることは何だろうか?〗

 

 

正直、

こう捉えても僕のメンタルはまだ辛うじてもっているスレスレの状態で

全然強がっていただけでした。
ただ、こう捉えないとやってられない自分がいたのです。

 

 

 

 

でも…
そんな問いを自分自身に投げかけてから僕はその原因を自分の【読解力のなさ】に繋げ、
あんなに毛嫌いしていた本を手に取り とにかく数多くの本を読むことを心に決めたのです。

 

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ーーーそれから…

 

あれからかれこれ6年くらい経ちますが、僕は今 毎年250冊程度の本を常時読むようになったのです。

 

本を沢山読むことが必ずしも良いことではない事もあるけれど、

知識の引き出しや表現の仕方、感性が以前にも増して増えていったのは紛れもなくこの経験があったからです。

 

 

さて、
ここで大切なのは1つ。

 

それはこの〖捉え方〗にあります。

 

 

 

当時、
もしも僕がその失敗を 最初に感じていたような他責のままの捉え方を変えずに継続していたら、その後の僕の読書習慣はきっとなかったんだと思います。

 

あの時、僕がこの「不合格」という失敗を受けて、

どう捉え

それに対して自分がどう反応しているのか、

ひいては、どう捉えたいと思っているのかを観察し、発見し、

最終的により効果的な捉え方をし直すことができたからこそ、自分自身の行動が変わったんだと思うのです。

 

 

大切なのは

身近に潜む ふとした至ってノーマルな出来事にどう捉えるか。

どんな色をつけてあげるのか?

 

 

僕はこれからもそんな未来に向けた思考をどんな時もしていきたいなっ

てそう思っているのです。

 

 

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