英語の時制と思考の旅路~もしも過去を表す言葉なかったら~

先日 中学生と共に英語の過去形について話していた時の事です。

 

 

「これは過去を明確に表す言葉だね〜。」

 

 

と、ある英単語について一緒に話していたのですが、

 

ある瞬間 ふと 僕は思ったことがありました。

 

 

『そういえば…

    もしも過去を表す表現(言葉)がないとしたら 僕達の生活はどんな風に変わるのだろうか?』

 

と。

 

 

 

 

僕達は普段 言葉を介して思考するんだと思います。

言葉を介さずに思考する事はたぶん…出来ないのかもしれません。

そして、自分が知らない言葉(ここでは日本語の中において)や未だ出会った事のない言葉でもきっと思考することは出来ないのかもしれない。

 

 

という事は。。。

 

 

 

自分の知っている言葉内で 色々なものを考え、時にイメージし、

それを元に様々な判断を下したり行動を起こしたりしていく僕達は さも当然の如く過去や未来を振り返り

 

時に過去に後悔し

時に未来に恐怖を感じたりして

 

そこに縛られたりしながら 今を上手く生きれなかったりするかもしれないけれど、でもそうした時 、

もしも過去や未来を表す言葉が 世の中になかったとしたら 果たして僕達の思考は 今だけに集中する事が出来るようになるのだろうか。

 

 

そんな事を僕はふと考えてしまった。

 

 

もちろん 、

過去を表現できる言葉があるから 僕達は歴史から学ぶ事が出来るし

一方で  未来を表現できる言葉があるから 僕達は将来や夢を見ながら希望に満ち溢れながら生きていけたりも出来るのだと思うのだけれど、

でも それ以上に過去形や未来形を学ぶという事は、僕たちに際限ない未知なる思考の旅を可能にさせる事でもあり

それはもちろんだけれど ある種危険もはらんでいるのかもしれないと と感じたりもする。

 

 

 

【過去形や未来形を学ぶ】

 

 

というのは、単純に英語ができるようになる というだけでなく

過去をふり返り 未来を歩む

というスタート地点にも立つことでもあって、

それに際しての教育なんかも 今後何十年か経つ頃には行われているのかもしれないな と。。。

 

そんな事を考えながらBOKETTOしたものです。

 

※BOKETTO(日本語)…なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち。

翻訳出来ない 世界のことば 〜より

 

 

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