たとえば体育の授業で先生に
こう言われたとしましょう。
「今日は皆に走ってもらいます」
と。
そうするともちろんこう聞こえてきます。
「は!?まじ?」
でも、
こんな声を差し置いて
先生は続けてこう言います。
「では皆さんいきますよ。良し、と言うまで走ってくださいね。」
恐らくこの言葉にはみな拒絶反応が起こることでしょう。
キツイですよね。
なぜならペース配分がわからないから。
では、これがもし一日単位ならどうでしょう。
結構焦りますよね。
じゃあ、
1年単位なら。。。
✳︎
受験というのはそんな「レース」に非常によく似ています。
そして
そんな状況でもっとも自分を助けてくれるのって
「終わり」を明確にされる事、なんです。
何をするにしてもそうだと思いますが、
「終わり」があるというのは、
やる側からするととてもやりやすいんですよね。
更にいうと、
「何をどれくらいやれば、どのくらいのリターンがある」
までわかれば、
モチベーションも随分と変わってくると思います。
それはもちろん受験だけでなく、日々の雑務から仕事まで。
逆に言うと、
それがわからないと凄く辛いんです。
部活を引退した後、
僕が受験に挑む中で一番最初に直面した壁が
「一体、何をどれくらいやればいいんだ?」
でした。
そして
不安を抱えながらの勉強はとても効率が悪く、
勉強したいのにできない時間も少なからず存在し、
そしてそんな僕に時間は構ってくれるはずもなく
刻一刻と過ぎていっていたのです。
でも、
僕は思うんです。
それ、
先生たちのちょっとした気遣いで解決するんじゃないかと。
*
なぜだかわからないけれど、
学校の先生や塾の先生はそれを明確に教えてくれませんでした。
いつも
「いいから黙ってこれをやりなさい。」
と言うばかりだった。
それはどこか毎日体育の授業や部活で、
「黙って、良しって言うまで走りなさい。」
といわれるようなものでした。
もちろん、
僕が単純に聞かなかった、というのもあるし、
僕が単に聞いていなかっただけで 実は沢山言っていたかもしれません。
でも、
今 教える立場として子供達が大学受験に挑む中で
この「終わり」を見せてあげる事は
教育者として最も繰り返し言い続けなければならない
大切な事だとも思っています。
✳︎
確かに受験にはこれをやったらこうなる、という
100%正確な方程式や因果性は存在しません。
それでも、
これをどのくらいやればどのくらいのレベルまでには落ち着く、
というのは確実に存在しています。
それはつまり、
「正確に終わる時間は教えないけれど30分以上は走らせないから安心しろ。」
くらいの事は言ってあげられる、ということでもあります。
それを教えないのは単純に勉強不足か、利権で縛られているか、
更には
自尊心を確保し続けたいかしかないように僕は思ってしまいます。
自分も苦しんだからそうしろと。
でも僕はそう思わない。
僕は単純に自分が苦しんだし、遠回りしたから、
彼らにはそうして欲しくないだけ。
出来ることなら楽にサクッと勉強が出来るようになって欲しい。
ただ、それだけなんです。
だって、
ただでさえ彼らにとって生きにくい世の中だから。
そのくらいの事いいじゃないですか、大人気ないこと言ってないで
ガッツり勉強の王道教えてあげましょうよ。
✳︎
何をするにしてもそう。
毎回毎回すべきことを、
上の立場の人がそうやって下の立場の人に「終わり」を伝えてあげるだけで
モチベーションって結構変わってくるのではないでしょうか?
今日は日々の生活の中で人に「終わり」を伝えてあげることについて。
誰かに何かを頼みたいとき、
何と何をすれば「終わり」なのかを伝えてあげるといいですね。
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